海の博物館 2
三重県に納品した後に、思い付いて寄った海の博物館。
前回の記事の続きです。
さて、そうやって感心しつつ、館内の敷地をぶらぶらしていると、ある建物にたどり着きました。
そこは船の倉庫として、全国から集められた木の船が資料として保管、展示されている建物でした。
博物館の館員がいるわけでもなく、無人の倉庫なのですが、中に入り見ることは出来るようになっており、案内も書いてあります。
その案内に誘われて、中に入ってみると、大きな倉庫の空間に、大量の木の船がぎっしりと並んでいました。
思いがけずの大きな空間と、そこに並ぶたくさんの木船に圧倒され、目を見張りました。
木の船の大きなこと。
普段、私は木工をしていますので、材料として木を扱っています。
でも材木屋さんから買う木材は、製材されているので、だいたい長さは2m、幅はせいぜい300mmぐらいの板の状態です。
それに慣れてしまっていたので、木のボリューム感に驚きました。
そういえば木って私の何倍も大きかったんだよな。
そして、木の存在感の次に、人の力に感動しました。
これを人の手で作ったのか。
木船なので、使われていたのは一昔前の事。
これを作ったのは各地の船大工さん達でしょう。
丸太をくり抜いただけの丸太船。
文字通り、本当に丸太をくり抜いて作ってあります。ただくり抜くといっても、その労力たるやです。
木材を運ぶための、筏のような平らな船もありました。
船の作り方がだんだんと発展してきたのが判ります。
こうやって船の構造が複雑になっていったのは、大口径の丸太が手に入りにくくなったこと、道具が発展し丸太から板が作れるようになったことなどが背景としてあるようです。
倉庫なので照明も最低限で、薄暗がりの中、私はひとり様々な木の船に見とれていました。
2時間ほどもそうしていたでしょう。
さらに感慨深かったのは、昨日納品してきたテーブルは、船板で作ったものだったのです。
船板とは、もともと船として使われていた古材で、私が使ったのは琵琶湖に浮かんでいた船でした。
水に浸かっていた板なので、その風化もダイナミックで、制作にはかなりの手間がかかりました。
苦労して作った船板のテーブルを納品した後というタイミングだったので、様々な木の船に対する感動もひとしおだったのです。
思い付いて来て良かったと、余韻に浸りつつ、海の博物館を後にしました。
その日の宿は伊勢市にとっていたので、伊勢市まで戻り、次の日は朝早くから神社巡りしました。
伊勢は母の地元なので、伊勢神宮には小さい頃から何度も行っているのですが、いつも赤福食べて内宮さんにお参りするぐらいでした。
今回はせっかくだからと、外宮さん、月夜見さん、倭姫宮、月讀宮、猿田彦神社と巡り最後に内宮さんへお参りしてきました。
小さな看板でさえ、木でホゾ組みで作られていて、さすが伊勢神宮と子供の頃とはまた違う目線で楽しんだ伊勢神社巡りでした。
最後に伊勢うどんをかっこみ、東京への帰途についたのでした。