ペーター・ツムトア「空気感」
ペーター・ツムトア「空気感(アトモスフェア)」という本を読みました。
私はツムトアよりもズントーという読み方のほうが慣れてしまっているので、ズントーと呼びます。
私の好きな建築家です。
もし私が大金持ちになったら、木工という仕事を選んでしまったので、お金には縁のない一生だとは思いますが、もし私がすっごいお金持ちになったら、ズントーに建築を依頼するというのが夢なんです。
ズントーについては他の方々が様々に書いてますので、浅い知識しか持ってない私は控えますが、有名なスイスの建築家です。
ズントーは、本人も言ってますが、商業ベースの建築家ではないので、1つの建築に時間をかけるタイプ。
そんなことから考える必要あるのっていう根っこから考えはじめます。本を読んでいると、かなり哲学フリークだと思います。
ズントーのアトリエにこんなモットーが掲げられているそうです。
徹底した全音階法、力強くくっきりとした抑揚のリズム、旋律の明朗さ、和声の清澄と飾り気のなさ、音色の鋭い光彩、要するにその音楽の織物は簡潔にして明瞭であり、骨組みは堅牢である。(アンドレ・ブクレシュリエフ「イーゴリ・ストラビンスキーの音楽的文法における真のロシア精神について」)
ズントーの目指している建築、なんとなく伝わりますか?
そんなズントーに私が建築を依頼して、すべてズントー任せでやってもらうのですが、打ち合わせをズントーとするわけです。ここからはズントーの本に書いてある言葉を引用させてもらいながらの、私の妄想です。
「さて、進捗はどんな感じですか?」と私。
「えっとね、まずここに使う予定だった杉なんだけどね。打ち放しコンクリートの建物には杉は柔らかすぎるよ。
打ち放しコンクリートに対抗するだけの緻密さと量感があって、独特の輝きを持つ黒檀ぐらいの木でないと。」
「なるほど、じゃあそうしよう。だいぶ材料代が高くなっちゃうけど、なんとか予算内だし。」
後日、実際に紫檀とマホガニーの材料を現場に運び込み、取り付けました。
「いやいや!これはどうでしょう!杉にすればよかった!」とズントー。
「え!?どういうこと?」と私。
「杉の柔らかさは、この環境で充分な存在感を放つ事ができる。それがふいにわかったよ!」
と取り付けた紫檀やマホガニーを全部外してしまいました。
「えー、この材料どうすんの、結構したんだけどなー。存在感ってなんだろなー??」と私。
1年後、そのエリアはひとまず完成ということで、見に行きました。
すると杉はどこにも使われていません。
「あれ?ズントー、ここは杉にするんじゃなかったの?」
「ああ、杉はやめたよ。杉は構造が直線的すぎて、もろい印象を与えてしまうんだ。」
「ちょっと待って、ズントー。私は金持ちだが一応予算てものがある。実際にやってみないと判らない事があるのは理解しているつもりだが、あんまりじゃないか?ここの完成だって結局1年も遅れたし。ちゃんと説明してくれないか?」
「オーケー、じゃあ説明しよう。偉大なる神秘であり、私が多大な情熱を注ぎ、そして繰り返し深い歓喜を覚えるもの『素材の響き合い』について。」
素材相互が共鳴し、するとそこがぱあっと輝き出す。しかもそうやって素材が組み合わされることによって、どこにもないひとつ限りのものが生まれる。素材は無限です。
石ひとつとってみても、その石は鋸で切る事ができる、研磨することもできるし、穴を穿つ事もできる、割る事も、表面をすべすべにすることもできる、そのたびにまったく別物になります。おなじ石をほんの少しだけ使うか、大量に使うかによってもまた変わってくる。あるいは光にかざしてみると、また別様の物になるでしょう。ひとつの材料は千通りの可能性がある。私はこの作業がたまらないく好きです。そしてこの作業に取り組めば取り組むほど、ますます謎が深まってくるような気がする。
「うんと、君が使う素材にすごいこだわりがあるのは判ったよ、ズントー。でも‥・」
「もうひとつ付け加えさせてくれ!」
「う、うん」
素材そのものの種類と重量に左右されますが、素材相互には、臨界点とも言うべき距離があるということです。ひとつの建物において複数の素材を組み合わせる場合、ある点まで行くと素材同士が離れすぎてしまって、共振することができなくなる。逆に、近接しすぎると、たがいを殺し合ってしまいます。つまり、建築において物を組み合わせるという事は‥ いや、私が言わんとすることは、みなさんにはすでにおわかりでしょう!
「みなさん?君は誰にむかって話してるんだい?いや、わかったような、わからないような‥。」
とまあ、こんな具合に、毎回頭の中に?がたくさんある状態で、ズントーとのやり取りが終わっていくわけです。
打ち合わせする度に、こうやって?がたくさん頭の中に生まれ、今日は一体何の話だったのか、多少なりとも前進したのか、果たして本当に建物は出来上がるのだろうか、それにしても存在感って何だ?と色々の疑問が渦巻きます。
ただ、この時に生まれたたくさんの?は、何年か後に、例えばズントーの作った家に住みながら、ふと彼が言っていた事はこういうことだったのかと、納得する瞬間が来る。ずっと?のままで終わる疑問もあるでしょうが。それでも、その?を積み重ね積み重ね、ふと理解する、そんな瞬間を味わいたく、ズントーに建築を依頼したいんです。
ズントーとのやり取り自体が、私にとってはエンターテイメントなんです。ズントーに依頼した人しか味わえないエンターテイメント、そのためにお金を使う。すごい贅沢だなと思うのです。そんな贅沢、してみたいなあ。お金、欲しいなあ。
パトロンが芸術家を支援するのも、こんな気持ちなんですかね。
さて、蛇足でもうひとつ、付け加えておくと、こういうズントーみたいな人は、いったいどうやってクライアントを納得させ、仕事をしているんだろうと不思議に思います。
今でこそ、有名になってますから、私みたいな人がいっぱいいて、ズントーの仕事はこんなもんだと多少無理が通るのでしょうが、まだ無名の時代、どうやって仕事をしていたんだろう。
仕事ですから、予算があり、納期があります。クライアントがいます。
ひとつの仕事に時間をかけてしまうと、利益が減り、儲からない。自分の仕事は時間がかかるからと、その時間を見込んで見積りすると、えらい高い見積りになってしまって、とてもクライアントが納得しない。そんなに高いなら、他の有名な建築事務所に依頼するよと、言われてしまう。
でも自分としては、出来る限り時間をかけて、じっくり考えて建物を作りたい。
そのバランスをどうとっていたのか。
目先の儲けに走らず、自分の仕事のスタイルを貫いたからこそ、今のズントーがあるのでしょうが、じっくりと時間をかけて考える必要性をその都度、クライアントを説得して、納得させてきた訳です。
そんな説得が出来てしまうズントー、すごいなあと思います。