世界は私。
ちょっと探し物があって、昔のハードディスクを引っ張り出してきて、見てました。
すると懐かしい企画書が出てきました。
これはまだ私が映像作家として活動していたころの作品企画書です。なので、当然映像作品なのですが、私が今、木工で家具を作っている事、その説明になるような気がして、ブログ記事にしてみようと思います。
この作品のタイトルは「世界は私。」
以下はその企画書からの抜粋です。改めて見てみるとだいぶ乱暴ですが、興味あれば読んでみてください。
といった、かなり長い作品意図がありまして、この後に作品イメージが出てきます。
それが、この記事のトップにある写真なのですが、ようするに窓と椅子のある空間を作り、その窓に「あちら側」の映像を投影し、鑑賞してもらうという作品です。
あちら側というと、なんだか霊的な印象ですが、そういう世界ではなく、もっと哲学的な世界をイメージしていた気がします。そのあちら側をどう映像で表現するか、そこがこの作品の肝となりますが、それは今回は置いときます。
今回、この企画書を記事にしたのは、当時の私の興味が、映像そのもの、映像をどう作るか、という事よりも、その映像をどういう環境で見るか、という事に重きを置いているからです。
また、普通の映像作品には尺があり、始まりと終わりがあります。鑑賞者はその間、じっとスクリーンを見て、終わると目を離します。この作品では、映像自体に始まりと終わりがありません。映像は繰り返しその窓に表示され、鑑賞者がその映像をじっと見る事を強制していません。映像を、ひとつの風景のような扱いをしてるわけです。
映像そのものよりも、その周りの空間への興味、そして、時間軸の基準が映像作品そのものよりも、鑑賞者の時間軸を中心に考える方向へ向っていった事、そういった事が私を映像から離れさせ、木工へと向わせたのではないかなと思います。
さて、お気づきの方もいるかも知れませんが、この作品イメージのイラストに描かれているスツール。
先日4脚目を作って、先ほどWORKSのページにも載せましたスツールと同じものです。
私自身、このスツールをいつ頃思いついたのか定かではないのですが、もうこの頃には思いついていたんですね。私も久しぶりに見たこの企画書に、思いがけずこのスツールが描いてあってびっくりしました。
この頃は木工の事なんて、なんにも知らなかったのに、どういうつもりでこの形にしたのか、我ながら不思議です。
ちなみに下の写真が初めて作ったスツールです。今のと比べるとだいぶ荒々しい(笑)