せきしつぶんかんぼくのおんずし2
赤漆文欟木御厨子のお話パート2です。
私は今、木工の世界 早川謙之輔著という本を読んでいるのですが、この早川さん、木工の申し子で、人間国宝黒田辰秋に認められ、生涯一人で木工をし続け、おだやかな家具を作る事を目指していたそうです。
そんな早川さんは、2度ほどこの赤漆文欟木御厨子を実際に見た事があり、この厨子について、こんな考察をしています。
板は今日の機械・工具をもってしても加工しにくい欅の玉杢に縮みが加わったもので、縦挽大鋸(たてびきおが)のない時代にどうやって板にし、平に削ったのであろうか。
一応、木工を知らない人の為に解説します。表紙の写真にあるのが杢というもので、木は板にすると色々な模様(杢)が現れます。その模様のなかには、珍しいものがあり、そういった板は貴重とされ高価で取引されます。 この厨子に使われている欅(けやき)には、玉杢と縮み杢とが現れていると。1つでも珍しいのに2つの杢が合わさっていると。
ノコギリについて
縦挽大鋸というのは、ノコギリのことです。 ノコギリには横挽きと縦挽きとがあって、横挽きは木の繊維方向と直角に切る場合で、縦挽きは木の繊維方向と並行に切る場合のことです。 刃が左右についている両刃のノコギリ、見た事があると思いますが、あれの細かい刃のほうが横挽き用の刃で、荒い刃のほうが縦挽き用の刃です。 木の丸太から板にする場合は、繊維方向と並行に切らないといけないので、縦挽きが必要なわけです。
鋸自体は古墳時代からあったそうで、この時代にも横挽きの鋸はあった。でも縦挽き鋸が出現するのは15世紀の中頃だそうです。では、縦挽き鋸がなかった時代、どうやって丸太から板を作っていたのか。
へぐ
それは「へぎ」という方法で作っていました。木目のまっすぐな良材に、ノミやくさびを打ち込んで、割っていたんです。今では数寄屋建築で見る事ができるヘギ板のことです。
ただ、このへぎが出来るのは、木目のまっすぐな板でなければなりません。杢が出ているということは、木の繊維がウネウネしているという事なので、とてもへぎで割れるような木ではないんです。
製材業者とこの板の事を話すと、鋸で挽いたに違いないという。縦挽大鋸はなかったと説明しても、鋸でなかったら板になる木ではないではないか、とお説教を食う。
鉋について
しかし、私にはどうやって板にしたのか分からない。鉋(かんな)の刃口がどんなに狭くても、あの杢板を削るのは楽ではないと思われる。調子の出ている二枚刃の鉋で削っても逆目が起きそうな板で、製鉄技術も発達していない当時の刃物で、どうやって削ったのだろうかと思う。
そうなんです。杢の出ている板に鉋をかけるのはとても大変なんです。私は全然自信がない。逆目が怖くて、ついサンダーに手が伸びてしまいます。杢板をしっかり鉋がけできてこそ一人前なんでしょうけど。
逆目というのは、鉋が木の繊維に引っかかって、ぐりっとえぐれてしまうことです。 鉋をかけるのはいつも仕上げの段階なので、ぐりっとなっちゃうとそれまでの苦労が水の泡。 家具の場合、完成時の板の厚さが決まっていて、完成した時にその厚さになるように、木取りからずっと気を使うわけです。例えば完成時の板厚が20ミリだとすると、木が反っている事を考えて、25ミリぐらいの材料を加工します。反りや捻れを取り除きつつ、まっすぐな20.3ミリ厚の板を作ります。 残り0.3ミリを鉋で削って、20ミリ厚の板に仕上げるのです。
その最後の段階で、ぐりっと1ミリぐらいえぐれちゃうと、もうそれはとても悲しい。ワードが強制終了して、今日一日かけた報告書が全部消えちゃったみたいな。
仕上がり寸法は20ミリですから、全体を1ミリ削って19ミリにするわけにはいかないのです。パテで埋めるとかして誤摩化すしかありません。それが見附(家具の正面)に使われる材料だと、目立ってしまうのでまた材料から作り直しです。
こんな愚痴、鉋をしっかり調整する腕があれば問題ないので、自分に腕がないと言っているのと同じなんですが。
言いたかった事
さて、話を戻して、早川さん。
板を作るには割る以外の手だてがなかった時代には、今私達が考えるレベル以上の割る技術があったであろうし、何より大切な、どう木を割るかを見透かす知恵があったにちがいない。 荒木取りした板は、手斧(ちょうな)その他あらゆる道具が総動員され、平にされていったはずだ。槍鉋(やりかんな)が使われただろうか。
最終的には焼き物の破片をスクレーパーとして、根気よく削って平にしたのではないかと、考察を締めくくっています。
いずれにせよ、縮みの入った玉杢の欅の丸太を板にする。これは、当時は大変な労力がかかるビックプロジェクトだっただろう。それこそプロジェクトXが取材に来るみたいな。
やっと、私が言いたかった事にたどり着きました。 昔の人はすごい!