せきしつぶんかんぼくのおんずし
赤漆文欟木御厨子と書いて、「せきしつぶんかんぼくのおんずし」と読みます。まるで何かの呪文みたいですが、これは正倉院にある昔の日本の家具の名前です。
赤漆はこの場合、赤漆塗りではなくて、赤く染料で染めた木地に拭き漆をほどこした、の意味で、文は模様、外見の美しいさまを意味し、欟木は欅(けやき)のことなので、「赤く染めた美しい木目の欅材に、拭き漆をほどこした厨子」ということになるそうです。 厨子とは、今で言うキャビネットかな?二枚とびらの開き戸がついた物入れです。
この赤漆文欟木御厨子は、756年に聖武天皇に献納され、それいらい6代の天皇に使われたとっても古くて由緒あるキャビネットなんです。それが現存しているそうで、すごいですよね。いくら大事に保存されていたとはいえ、約1300年前の家具ですよ。ビンテージどころじゃないです。 接着剤とかどうしてんだろと思います。膠(にかわ)ですか?それとも漆?
日本の家具の歴史
さて、私がこの厨子の事を知ったのは、あるきっかけがありました。 今でこそ毎日家具の事ばかり考えていますが、木工を始める前は、家具の事にはまったく興味がありませんでした。自分の部屋の家具はすべてIKEAとホームセンターで買ってきた安物ばかりでした。
そして、そんな私が木工を勉強するために学校へ通い始めたのですが、そこの学校の先生があるとき 「日本は家具の歴史が浅いからねー」 とおっしゃいました。その時は聞き流していたのですが、やがて、果たして日本には昔は家具がなかったのだろうか、法隆寺など世界に類を見ない木造建築を作るほどの木工技術を持ちながら、いったいなぜ日本人は家具を作らなかったのだろうか、そもそも人は家具がなくても生活できるものなのだろうか。 そんな疑問がふつふつと湧いてきて、家具についてなにも知らなかった事もあり、日本の家具の歴史について調べてみようと図書館へ足を運んだのでした。
日本の家具の歴史についての本を探したのですが、たしかにない。 よくあるこの時代の家具はこんな形で、この時代にはこうなって、みたいな時系列にその時代の家具の形が並んでいるような資料を、私はイメージしていたのですが、そういう本は見つからない。
日本人と家具
唯一、小泉和子さんが和家具の歴史について書かれていて、小泉和子さんの本を数冊読みました。小泉さん曰く、日本の家具というものはどんどん建築に組み込まれていく宿命にあるようだと。 畳や障子などは、昔は立派な家具だったのですが、今では建物の一部として認識されています。そういった背景があるものだから、日本の家具は学問として成立しにくく、なかなか研究も進まないそうです。
しかし、やっぱり日本人も家具は使っていました。確か平安時代の絵にスツールのようなものが描かれていたりもしているそう。なんだ、やっぱり昔から家具はあったんじゃない。 そうなると、あの先生がなぜ「日本の家具の歴史は浅い」なんて言ったのか。 日本は明治時代に大きく生活様式が変わりました。今では日常に使うテーブルや椅子、西洋式の家具は明治以降どばっと日本に入ってきたものです。 古くから日本にも家具はありましたが、それは天皇、貴族など上流階級の人達しか使うことが出来ませんでした。椅子は偉い人が座るもので、庶民が椅子に座る機会なんてなかったんでしょう。 おそらく、そういう意味で先生も歴史が浅いとおっしゃったのだと思います。
そうやって、日本の家具について調べている時に、この赤漆文欟木御厨子を知ったのでした。
実は今までのお話は前置きで、これから本題なのですが、すっかり長くなってしまったので、今日は前置きだけでおしまい。 次回も赤漆文欟木御厨子について、書きたいと思います。
表紙の写真は、庶民のベッドです。やばいっす。わらです。 でも布団をやめて、わざわざこうしているのを見ると、わらに寝るのは気持ちいいんでしょうか。 この枠の板も、長さ1800ぐらい?で幅は400ぐらい?このサイズの一枚板を用意するのも大変だったろうに。この人は庶民の中ではお金持ちだったのかな。寝顔も若干自慢げに見える。。